現代では、多くの大人が精神的に成長できず、子どもの頃の心理状態のまま生きています。
この結果、依存心が強くなり、社会的な不安を抱え、適切な境界を持てず、自尊心も低いままです。
よく見る例は、挑戦することを拒み、高等教育やキャリア形成など人生経験を諦め、「どうせ失敗する」と決めつけてしまう人です。
仕事をしている場合でも、自ら選んだわけではなく、なり行きや誰かの紹介で得た職にとどまり、そのまま一生を過ごしてしまうことも少なくありません。
残念な事に、彼らにとって理想の生活とは、不快な思いをしないことです。
更に、ある一定の人には「イネイブラー(助長者)」が存在し、生活費や住居を提供し甘やかしますが、実はその支援者自身も精神的に未熟であることが多いのです。
過去の経験による成長阻害
ピア・メロディの「Facing Codependence」によると、幼少期の経験が原因で、人は感情的に未成熟なまま留まることがあります。
幼少期の些細な出来事がトラウマとなり、成長を阻害します。
精神的に未熟な大人の行動から、彼らがどの年齢で成長が止まったのかが分かります。
例えば、白黒思考の人は抽象的思考が未発達な9歳程度の状態です。
抽象的思考は11歳頃に発達するため、それ以前の段階に留まっているのです。
複数の事物の共通点に着目し、一般的な概念でとらえることできない場合、抽象的思考が未発達な11歳程度の状態です。
子どもは成長の過程で特定の発達課題をクリアする必要があり、それを乗り越えた時、自立に必要な意志や意欲、モチベーションが育まれます。
しかし、幼少期の発達的トラウマ(CDT)を抱える人の中には、学業や職業で成功しても、対人関係において感情面の発達が未熟なままのことが多いのです。こういった人間は日本では政治家や官僚など、公務員に多く見られます。
職場では自信満々なのに、恋愛や対人関係では極端に回避的であったり、感情的に過剰反応する人が少なくありません。
まるで、彼らが「能力を発揮できる世界」と「何もできない世界」という二つの異なる世界を別々に生きているようです。
精神的未熟さは、5つの核心領域に現れます。
- 自己肯定感(過剰または欠如)
- 境界線(なし、または極端に閉ざす)
- 現実認識(歪んでいる)
- 依存傾向(極端な依存、または独立しすぎ)
- 自己制御(自己制御の欠如、または過剰な支配欲)
5つの核となる領域に問題を抱える人は、感情的に未熟であり、成長を妨げる信念を持っています。
特に多いのは「自分は価値がない」「自分はダメだ」という有害な羞恥心です。この問題を長年抱えている人は多くいます。
その結果、自分の能力を過小評価し、低収入の仕事に甘んじ、経済的に親やパートナーに依存し、本当にやりたい教育やキャリアを避けています。
何かなすべき事をしなかったのも「自分には無理だ」と思い込んでいたからです。
しかし、十分なセラピーを受けた結果、試す価値があると気づいた人は多く存在し、そこに自分の居場所があったと確信できるはずです。
精神的な成長
人が感情的に未熟なままでいる理由は、幼少期の経験や成長過程に大きく左右されるため、精神的成熟を得るには、上記の5つの領域を健全化する必要があります。
読書やトラウマ療法を通じて、過去の痛みを手放す事で、大人として健全に機能できるようになります。
成長には試行錯誤が伴うものの、意識的に取り組むことで、より良い行動が身につくのです。
現代社会では感情的未熟さが蔓延しています。文化や信念体系が厳格であるほど、その傾向は強まります。
人は本来、自由であり、自分らしく生きるべきです。
しかし、親、教育、宗教、社会的圧力によって、他人の期待に従うことを強いられています。
その結果、自分を見失い、他者に認められるために生きるようになってしまいます。
成熟とは、自分が本当に望む人生を理解し、自己主張できるようになることです。
適切な支援を受ければ、誤った自己認識を修正し、人生の目標を取り戻すことができます。
未熟な人の特徴
感情的な未熟さの典型的な例は以下の通りです。
- 友人が居座り、追い出せない
- 家族に精神的・言葉の暴力を受け続けながらも「家族だから」と耐え続ける
- パートナーに浮気や虐待をされても「どうすることもできない」と思い込む
- 健康や人間関係を犠牲にして、社交的な遊びを優先する
- 不満を言うだけで行動しない
- 言うだけで何も実行しない
- 感情的に反応しやすい
- 復讐心を持つ
- 「○○させてもらえない」と他人の意向に依存する
- 自分の行動の責任を取らず他人を非難する
- 自分の世話をしない
- 働かずゲーム三昧
- 孤独を極度に恐れ、人間関係にしがみつく
健全な大人は、自分の世話を自分でします。
未熟な人の家族は、必要な境界を設定しており、エネーブラー(支援者)もまた未熟です。さらに、罪悪感から適切な対応を取れないことが問題です。
精神的成熟を得るために
精神的に未熟な人が増えるのは、文化や価値観が固定化していることが一因です。
本来、人は自由であり、自分らしく生きるべきですが、家族や宗教、教育、社会的圧力により、自分を見失います。
成長とは、本当の自分を知り、他人の期待ではなく、自分の望む人生を歩むことです。
全ての大人が、自分で自分を養うべきです。精神的に未熟なパートナーを持つ人は、相手を変えることはできません。自分自身の幸福を優先し、未熟な人との関係に深入りしないことが大切です。
精神的に成熟した人と未熟な人の違いは明確です。
成熟した人は「安定」しており、未熟な人は「不安定」です。結婚は精神的未熟な相手とすると苦痛が伴います。自己愛を持ち、未熟な人との関係を断つことが、最高の自己防衛となります。
最後に
精神的な健康には、自己肯定感、境界線の設定、現実認識、依存のバランス、自己制御が不可欠です。
精神的な成熟は日々の選択の積み重ねであり、誰もが過去の影響を受けながらも、そこにとどまる必要はありません。
自己理解を深め、健全な境界を持ち、依存ではなく自立を目指すことで、人間関係はより豊かになり、人生の質も向上します。
自分の人生の舵を取るのは、他の誰でも無い自分自身なのです。