私たちの脳は実はかなりの手抜きで、面倒な分析を避けるためにラベリングを行います。
日常生活ではラベリングは便利で、日常の問題解決には役立ちますが、社会的・政治的な議論や家族関係では混乱を招きます。
近年は特にネガティブなレッテルや決めつけが増えています。
当たり前ですが、ネガティブなラベリングは社会の分断を助長し、対立や攻撃、偏見を生みます。
共感や信頼を損ない、偏った認知バイアスを強め、私たちの思考や意思決定にも影響を及ぼします。
例えば「確証バイアス」により、自分にとって都合のよい情報だけを選び、異なる視点を排除しがちです。
レッテル貼りの代償
レッテルを貼ると、ドミノ倒しのように、こんな悪循環が始まります。
- 相手も同じように反撃してくる(戦争の始まり)
- お互いの感情がエスカレート(冷静さよ、さようなら)
- 対話が不可能に(まさに会話の墓場)
こんな地獄のような文章、SNSでたまに見かけますよね。
考えてみてください。誰かにレッテルを貼って、状況が良くなった経験ありますか?むしろ悪化したケースの方が多いはずです。
こうしたレッテルは、思考や分析を怠けるために使われます。これにより「相手の考えをまともに受け止めなくていい」と思い込んでしまいます。
また、特定の集団に帰属していると錯覚して、安心感を得ることもあります。ラベリングは単なる分類ではなく「自分と仲間 vs それ以外」という構図を強める道具にもなり、議論の本質が見失われがちです。
また、レッテルを貼る行為は、一時的な自己正当化をもたらしますが、長期的には怒りや不満が蓄積します。「あの人はダメだ」と繰り返し考えることで、自分の中に負の感情が増えストレスが溜まるのです。
心理学者グレシャム・サイクスとデヴィッド・マッツァが提唱した「中和の技法」にもある、人は自身の行動を正当化する傾向があります。
例えば「ただ事実を述べているだけ」「相手に非がある」など、レッテルを使うことを正当化してしまうのです。
- 「ただ事実を述べているだけ」 → 「私は悪くない。ただの事実を言っているだけだ」と主張する
- 「相手に非がある」 → 「あの人が悪いから、私はこう言うしかない」と正当化する
不確実性を受け入れよう
面白いことに、レッテル好きな人には「グレーゾーン恐怖症」の傾向があります。
ネガティブなレッテルを頻繁に使う人は、不確実性や曖昧さへの耐性が低い傾向があります。
こういった人は精神的に成長していないので、心理的に幼く白黒思考のままなのです。
不確実性を拒絶すると、独善的な信念や怒りにとらわれ、他者を否定する行動につながります。SNSでレッテルを張って意味不明な攻撃をしている人はまさにこれです。
しかし、人生は本来グレーだらけです。この曖昧さを受け入れられたとき、人の視野はぐっと広がります。
レッテルを使わずに表現する練習
試しに、あなたが反対する人や集団について、ネガティブなレッテルを使わずに100語以上で説明してみてください。
これができれば、あなたはより冷静で合理的な思考ができるようになり、自己肯定感も高まるります。
SNSでの実践
1. SNSで攻撃的なコメントを見かけたら、深呼吸して「この人の本当の言いたいことは何だろう?」と考えてみる
2. 反対意見を持つ人についてレッテルなしで、事実と論理に基づいて分析することを心がける(これが意外と難しい!)
インターネット上の投稿に否定的なレッテル貼りのコメントがある場合、否定的なラベルや特徴付けを使用せずに論点を説明するよう依頼する。
最後に
ネガティブなレッテルは偏見であり、健全な議論を妨げるただの汚染物です。
レッテルを使わずに事実と論理に基づいた分析をすることで、建設的で理性的なコミュニケーションが生まれます。
レッテルという便利な箱から飛び出して、もっと自由に考えてみましょう。新しい発見があなたを待っているはずです。