「〜すべき」「〜であるべき」というような、強い表現が好きな人がいます。
何かについて「べき」という言葉をよく使う人の心理には、いろいろな理由が隠れています。
一般的に社会経験を積むにつれ、人は状況や視点の多様性を理解するようになり、「こうあるべき」という固定観念に縛られることが少なくなる傾向が見られます。
多くの現場で、一つの「べき」が当てはまらないケースが非常に多く、柔軟性や状況判断が求められることが増えるからです。
なので、職場で「べき論」を強調する人は、まだ十分な経験を積んでおらず、状況に応じた柔軟な判断が必要な場面に触れる機会が限られている事が多いです。
経験を積むことで、少しずつ「べき」にとらわれず、自らの考えに幅と深みを持たせていくことが期待されます。
では、なぜ人は「べき論」に頼ってしまうのでしょうか?主な心理的理由を見ていきましょう。
1. 経験不足
「べき論」をよく使う人の多くは、十分な経験を積んでいないことが原因の場合があります。
経験が少ないと、物事を一面的にしか見られず、自分の考えが「絶対に正しい」と思いがちなので、「〜すべき」「〜でなければならない」といった強い言い方をしてしまいます。
また、経験不足は不安も生みます。
不安を打ち消すために、自分の考えを「べき」という言葉で強く主張することもあります。
経験を重ねることで、世の中には様々な考え方や生き方があることに気づき、次第に他人の意見も受け入れられるようになったり、柔軟な考え方ができるようになっていくのです。
2. 秩序やコントロールを求める
「べき論」が好きな人には、一つの特徴があります。それは、物事を「きちんと」させたい気持ちが強いということです。
例えば、「会議は時間通りに始めるべき」「約束は必ず守るべき」「仕事は手順通りにやるべき」というように、明確なルールや基準を重視します。
なぜそうなるのか?これは、決まりごとがあると心が安定するからです。
「こうすべき」というルールがあれば、何をすれば良いのかが分かりやすく、予想外の出来事も減ります。
「べき論」は、不安や混乱から自分を守るための心の防衛策とも言えます。
特に、予想外の出来事や変化に不安を感じやすい人ほど、このような「べき論」に頼りがちです。
これは、決まった通りに物事が進むことで、安心感を得られるからです。
3. 自己評価や自己効力感の強化
「べき論」には、自分自身を支える役割もあります。
- 「努力すべき」と信じることで、自分の頑張りを正当化できる
- 「誠実であるべき」と考えることで、自分の生き方に自信が持てる
- 「時間を守るべき」と実践することで、自分は信頼できる人間だと感じられる
「こうあるべき」という考えを持ち、実践することは「自分は正しいことをしている」という実感につながります。
社会で認められる基準に従っているという安心感も得られます。
「べき論」に従って行動し、それが成功体験になると、「自分にはできる」という自信「自己効力感」も育ちます。
ただし、これは諸刃の剣でもあります。「べき」という基準が高すぎると、それが達成できない時に自分を責めすぎてしまう危険もあります。
4. 不安や恐れの回避
人生には、予想できないことがたくさんあります。
不確かな状況に不安を感じやすい人は、「べき論」に頼ることで心の安定を得ようとします。
- 「失敗したくない」という不安 → 「手順通りにやるべき」
- 「人から批判されたくない」という恐れ → 「みんなに合わせるべき」
- 「将来が不安」という気持ち → 「計画通りに進めるべき」
不安や恐れを感じる人にとって、「べき論」は不安への対処法の一つとも言えます。
「こうすべき」というルールを決めることで、「何をすれば良いかが明確になる」「予想外の事態を減らせる」「自分でコントロールできる感覚が得られる」という心理的メカニズムが働いているのです。
ただし、すべてを「べき」で縛りすぎると、かえってストレスの原因になることもあります。時には柔軟に考えることも大切です。
5. 自己防衛や優越感の追求
「べき論」は、時として自分を守りながら、自分の価値を高めたいという隠れた欲求が含まれています。
「新入社員は先輩の言うことを聞くべき」「親なら子供を厳しく躾けるべき」「真面目に働かないのはダメだ」といった主張をする時、その人の心の中には特別な思いが潜んでいることがあります。
それは「自分は正しいこと、理想的なことをしている」という自信です。
この自信は「ルールを守れない人は劣っている」という判断につながり、最終的に「自分の方が優れている」という優越感を生み出すことがあります。
特に、自分の考えや行動に自信が持てない時ほど、このような傾向は強くなります。
「あの人はこうすべきなのにできていない」と他人の欠点を指摘することで、逆に自分の価値を確認しようとするのです。これは言わば、自分を守るための防衛手段として機能しているとも言えます。
ただし、このような態度は人間関係を損なう原因にもなります。
相手の立場や状況を理解せず、一方的に批判することは、むしろ自分の未熟さを表しているかもしれません。本当の成長は、他人を批判することではなく、お互いを理解し合うことから始まるのかもしれません。
人それぞれに異なる価値観があることを忘れると、自分の「正しさ」の押し付けになってしまう危険があります。
6. 育った環境や文化的影響
「べき論」を強く持つ人の根っこには、その人が育ってきた環境が影響しています。特に子供時代の経験は、人の考え方を強く形作ります。
たとえば、「勉強は真面目にするべき」「目上の人には従うべき」「迷惑をかけるべきではない」といった価値観。これらは親からの言葉や、学校での指導を通じて、知らず知らずのうちに私たちの心に刻み込まれていきます。
特に日本のような社会では、「和を乱さない」「規律を守る」といった考えが大切にされ、周りの期待に応えようとする気持ちから、「べき」という考えが強くなりがちです。
厳格な家庭で育った場合、「こうしなければならない」というルールが生活の中心になっていることも。幼い頃から「きちんとした行動」を求められ続けると、それが自然と大人になっても続いていくのです。
育った環境の影響を理解することは、自分を改善するきっかけにもなります。
「なぜ自分はこう考えるのか」を振り返り、様々な経験や出会いを通じて視野を広げていくことで、「べき」という固定観念から解放され、より豊かで柔軟な考え方が育まれていきます。
まとめ
「べき論」を好む人には、経験不足や不安からの自己防衛、秩序を求める気持ち、自己価値を高めたい欲求など、様々な心理的要因が隠れています。
他にも、幼少期の環境や文化的影響も大きく関係しており、特に日本では「和」や「規律」を重んじる価値観から「べき」という考えが強くなりやすい傾向があります。
経験を重ね、様々な価値観に触れることで、次第に柔軟な考え方が育まれ、過度な「べき論」から解放されていくのです。