心理的に問題のある人達は、同じようなグループに収まる傾向があります。
この人たちの目線や心理は基本的に稚拙なので、協調するべきものではありません。
1人で長時間の自分語りを延々と話し、その途中や最後に共感を求めるてくる人も少なく無いでしょう。
感覚の鋭い人は素早く離脱していたり、いち早く別のことを始めていますが、これが1番賢い方法です!
女性であればコミュニケーションに共感を求めるのは分かりますが、男性だった場合、極度に共感を求めてくるのは不自然で、明らかに承認欲求の肥大化や、他人を攻撃をしてドーパミンを出す事に利用しています。
ではこういった、共感を無理に求めてくる人達が何を考えているか、具体的に見ていきましょう。
共感を求めることの問題点
「共感」と「理解」は異なるものです。共感は生じるものであって、努力して得るものでは有りません。
多くの人がこの本質を理解していないため、共感が起こらない人にそれを求めることは「共感できないお前はだめな奴」というレッテル貼りをして、人格攻撃を行う口実となります。
共感を押し付ける人は、潜在的に共感は理解よりも良いものだと思い込んでおり、「共感は心理的なものであり良いものだ」「理屈は利己的なもので悪いものだ」という考え方をしています。
共感を簡単なものだと考えているため、出来ないのではなく、単に相手のやる気がないのだと考えているのです。
そして、共感しない人は自分を拒否しているという極端な単純化に繋がり、結果、共感しない相手に対して不寛容になり攻撃したり排除したりするわけです。
こういった口実を元に攻撃を行い、他人を使ってドーパミンを出しているので、相手にしても損です。受け流しましょう。
危険性
一番危険なのは、物事の差異を過小視する傾向にある事です。
自分達は同じ感情を共有していると誤解し、相手を理解したつもりになります。
急に親しげに距離を詰めてきて、相手が不気味に感じて退けば「あの人は閉じている」と非難したりするわけです。
また、理解したつもりになっている状態は、言葉を尽くして説明することを軽視しているという認識をされます。
共感に妬みなどのネガティブな感情(非共感的感情反応)が伴うと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」のような不適切な社会的行動が現れやすいという研究結果があり、こういう人たちと一緒に居ると危険です。
まとめ
「共感欲求」と「承認欲求」は意味合いが近く、褒められたい、認められたい、共感してほしい、という承認欲求の肥大化の影響で近しい欲求が被ってしまい、過度に共感を求めるようになります。
そもそも承認欲求の肥大は、アドラー心理学で否定される考えであり生ゴミにも劣ります。
他者と関わる上でもっとも重要なことは、他の人の目で見、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じることだ。
アルフレッド・アドラー
こう言った人達に遭遇し、共感を求められた場合、相手の意見を否定しないと言う事が重要ですが、お互いに大人になってから考え方を変えるのは難しいので、適当に受け流しつつ距離を取りましょう。
逆に他者のポジティブな感情に対する共感は、適切な社会的行動に対して効果を持つことが、近年研究で明らかになってきたようなので、積極的に認知的共感を行っていくのが良いとされています。