問題が起こった時に、当事者を強く積める人は何処にでもいるのではないでしょうか?
問題が起きた時に現状を理解したいという気持ちはわかりますが、「原因を理解する」事と「相手を責める」事は全く別問題です。
重要なのは「問題が起こった時にそれを攻めたてる事ではなく」この問題を先に進めるためには「何が必要なのか」という事です。
そしてこれは「嫌われる勇気」という書籍の中にもある「目的論」という、とても重要な考え方であるため「目的論」についてまとめています。
原因論と目的論の要約
フロイトが提唱した課題の原因を分析する原因論に対して、アドラーは原因論を否定し目的論を導きました。
これは「原因論と目的論」と呼ばれます。
フロイトが提唱する原因論は、過去の出来事の結果が現在を作り出していると考えます。
しかし、過去は変化させることが出来ないため、原因論を突き詰めると、人間は変化することの出来ない存在という認識になってしまいます。
これは大きな誤りです。
当たり前ですが「人間は変わることが出来る存在」であり、アドラーは人間は環境(外界)の条件に左右されるだけの存在ではなく、自分の意思で状況を変える事ができる存在なのだと考えていました。
そして、今とは違う自分を望むのであれば、原因論のような過去に縛られた考えから抜け出す必要があります。
原因論は過去にしか目を向けていないため、原因論に沿って悩みや問題の原因を分析しても問題解決にはなりません。
原因ばかりに目を向けても状況は一向に変化しないのです。
問題解決をするときに欲しい答えは「原因の分析結果」ではなく「問題の解決策」です。
そもそも問題を指摘されてハッとしているのであれば、それは認識能力が足りていないので別の能力が不足しています。
与えられた能力や条件に悩むのではなく、与えられた才気をどう活用して現状を打破するかを考えることでしか状況は変わらず、こういった考え方によってより良い方向へ前進していくとアドラーは考えました。
過去の原因は「解説」であっても「解決」ではありません。そのため過去に縛られるのではなく未来を描くことこそが先に進む方法です。
アドラー自身も下記のような指摘をしている通り、目的を明確にして先に進む事を考えましょう。
「人の心理は物理学とは違う。問題の原因を指摘しても勇気を奪うだけ。解決法と可能性に集中すべきなのだ」
あるべき仕事の進めかた
ここまで説明すれば、仕事において責める事がいかに無駄な行為か分かると思います。
ミスやトラブルが起きた時に責任の追求を中心に行うのは、解説であり解決ではないので時間の無駄です。
大体の場合、当事者は自責の念があるのでわざわざ犯人探しをする必要もありません。
進捗などを報告する時、出来ているものはスケジュール表通りなので報告する必要は薄く、問題点だけを報告しましょう。
どうすれば出来るのか、実現するには何が必要かを話し合うのが本来の話し合いであり会議です。
また責めがちな人は、人前で説教するのが好きな傾向がありますが、関係ない人間には時間の無駄です。そして関係ないのに他人の説教を聞いてるのは非常にストレスになります。
どうしてもやりたかったら当事者だけで行ってください。
こういったストレスゲインがなくなると、アドラー心理学の他者貢献が働くため、意見交換やブレストが活発になり積極的に助け合うようになるのです。
リーダーポジションの人で問題の所在をハッキリさせるのは重要だと言う人もいますが、小学校の学級会ではないのでコレは誤りです。
重要なのはリリースや発売といった最終目的をクリアする事が目的であり、あげつらう問題がそこまでに解決出来るなら、それは大した問題ではありません。最終的に解決できなかった時に責任取るのがリーダーの仕事です。
終わりに
アドラーが目的論で言いたいのは概ね2つの事です。原因ではなく目的を考えることが重要です。
- 「人は変わることが出来る存在」
- 「何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが大切」
自分の人生は自分の責任で選択するものですが、それが出来ずに人生を複雑にしているのは自分自身です。
人生を円滑に進めるには「原因論」ではなく「目的論」で考える必要があり、原因論のみで考えると自分を変えられないまま、何年・何十年と時間が経過し無駄な行動をとり続けるケースは少なくありません。(いわゆる拗らせている状態です)
そのため目的を定義し「目的に沿った行動」を明確にして選択することが、人生を進むポイントになります。
アルフレッド・アドラーは個人心理学を構築した人物で「自己啓発の父」とされています。
エビデンスの薄い自己啓発本を読むより、アドラーの本を読んでおいたほうが1000倍有用です。
嫌われる勇気という書籍にまとまっており他にも幸せの3原則などがあります。