「この仕事は、私がいなければ回らない」「このやり方は、自分にしか分からない」
特定の業務が、まるでその人の「所有物」のようになってしまう「仕事の属人化」。
確かに、その人にしかできない高度なスキルや経験が必要な場合もありますが、多くの場合、属人化は組織にとってリスク(業務の停滞、ノウハウの喪失、不公平感など)を生み出す、いわば「困った状態」です。
では、なぜ人は、意識的か無意識的かは別として、仕事を属人化してしまうのでしょうか?
ここには、人間の持つ、いくつかの心理的な要因が複雑に絡み合っていると考えられます。
1. 「必要とされたい」という承認欲求と心の不安定さ
人は誰しも、「誰かの役に立ちたい」「自分の価値を認められたい」という承認欲求を持っています。
これは、人間が社会的な生き物である以上、自然な感情です。
しかし、自己肯定感が低い、あるいは何らかの不安を抱えている場合、その承認欲求が歪んだ形で現れます。
「自分にしかできない仕事」を作り出すことで、自分の存在価値を確認しようとします。
「私がいなければ、この仕事はダメになる」という状況は、一時的にせよ、その人にとって「自分は必要とされている」という感覚を与えてくれます。
心理学でいうところの、「代理コントロール感(自分で直接コントロールできない状況でも、特定の行動によって間接的にコントロールできていると感じること)」に近い状態かもしれません。
これは、根本的な自信のなさの裏返しから来ているとも言えます。
2. 「手放したくない」知識やスキルという名の権力
情報や知識、スキルは、組織の中で一種の「力」となり得ます。
特定の知識やスキルを自分だけが持っている状態は、その人にとって組織内での優位性や影響力を保つ手段になってしまいます。
「この情報を教えたら、自分の価値が下がってしまうのではないか」「他の人ができるようになったら、自分の立場が危うくなるかもしれない」
このような考えから、意図的に情報を共有しなかったり、他の人が理解できないような複雑な手順を続けたりすることがあります。
これは、自分の地位を守りたい、影響力を持ち続けたいという、ある種の「権力欲」や、自分のテリトリーを守りたいという「防衛本能」の表れと捉えることもできるでしょう。
3. 「変わるのが怖い」現状維持への固執と変化への不安
属人化された仕事は、長年そのやり方に慣れ親しんだ本人にとっては、ある意味で「安全地帯」です。
手順は決まっており、結果もある程度予測できます。
一方で、業務の標準化やマニュアル化、他の人への引き継ぎは、その「安全地帯」を脅かす「変化」と捉えられます。
人は本能的に、得られるかもしれない利益よりも「失うことへの恐怖(損失回避バイアス)」を強く感じる傾向があります。
新しいやり方を覚える手間、教えることによる責任の発生、これまで自分が築き上げてきたものが壊されるかもしれないという不安などが、変化への抵抗、つまり現状維持(属人化の維持)へと繋がります。
4. 「他の人には任せられない」完璧主義とコントロール欲求
「自分がやった方が早いし、確実だ」「他の人に任せると、質が落ちるのではないか」
完璧主義的な傾向が強い人は、仕事の質に対して高い基準を持っています。
これは素晴らしいことですが、行き過ぎると、他者の能力を信じられず、すべて自分でコントロールしないと気が済まないという状態に陥りがちです。
人に任せることへの不安や、「自分のやり方こそがベスト」という思い込みが、結果的に仕事を抱え込み、属人化を招きます。
5. 組織への不信感
過去に、自分の知識や経験を共有したにもかかわらず、正当に評価されなかったり、むしろ不利な状況になったりした経験があると、人は組織や他者に対して不信感を抱くようになります。
「一生懸命教えても、誰も感謝してくれない」「ノウハウを共有したら、自分の仕事がなくなるかもしれない」
このような組織への不信感や、貢献意欲の低下が、自己防衛的な行動、つまり情報を抱え込み、仕事を属人化させる原因となることも少なくありません。
最後に
このように、仕事を属人化してしまう背景には、承認欲求、権力欲、不安、完璧主義、不信感といった、人間の持つ様々な心理が隠されています。
多くの場合、個人の「弱さ」や「不安」の表れから来ているものです。
忘れてはならないのは、属人化は長期的に本人にとっても、組織全体にとってもマイナスであるという事実です。
本人は新しいスキルを学ぶ機会を失い、成長が止まってしまいます。他人は慣れた頃には退職を検討しているでしょう。
組織はリスクを抱え続け、全体の生産性が向上しません。
場合によっては、上位者が属人化させている人から強引に仕事を奪う強硬な態度も必要になります。そうしないと、属人化させている人を評価し続ける事になり、全体に不公平感が出るのは目に見えています。
属人化という「罠」から抜け出すためには、個人の意識改革はもちろんですが、心理的安全性の高い、オープンなコミュニケーションが奨励される組織文化を育むことが不可欠です。
知識や経験を共有することが評価され、誰もが安心して協力し合える環境を作ること。それが、属人化を防ぎ、個人と組織が共に成長していくための鍵となります。
この話が、少しでも「仕事を属人化する心理」への理解を深める一助となれば幸いです。