「攻撃的な人」と聞いて、誰を思い浮かべますか?
職場の上司?それとも、SNSでやたらと喧嘩腰のしょうもないアカウント?
攻撃欲求の強い人は、まるで奇術師のように巧妙な技を駆使します。
彼らの「武器」を知れば、無駄に傷つかずに済むかもしれません。
ここでは攻撃欲の強い人がどの様な攻撃をするか、彼らの手口7つをじっくり見ていきましょう。
1. 認識の操作(ガスライティング)
相手の記憶や認識を「それは違うよ〜」とにっこり笑いながら否定し、「あなたの頭がおかしいんじゃない?」と思わせる、攻撃者お気に入りの心理操作テクニック、ガスライティングというものがあります。
科学的にも認知心理学や臨床心理学で「れっきとした心理的虐」とお墨付きのある一級品の攻撃方法です。
被害者は徐々に「私の記憶って本当に正しいのかな?」「もしかして私が悪いのかも...」という泥沼にはまり込み、自分の感覚や判断力を疑う混乱状態に陥ります。
攻撃者にとっては「完璧な支配状態」の出来上がりというわけです。
現実を書き換えたいエゴイストに大人気の手法ですが、周りにいる人たちにとっては悪夢そのものです。
2. 贈り物で心理的負担を与える
攻撃欲求の強い人が用いる手法の一つに贈り物があります。
贈り物をすることによって「恩義」を感じさせ、心理的負担をかけるのです。
これはマーケティングでも使われる常套手段です。
分かりやすい例でいえば、デパ地下やスーパーの食品売り場で、食品を勧められると買っても良いかもしてないと感じる現象です。
攻撃欲求の強い人達は、こういった相互作用を生むような心理に巧妙につけ込むのがうまいです。
3. 脅しで従わせる
攻撃欲求の強い人達の一番分かりやすい例が、自分の欲求に相手が従わなければ「これは良くない結果に繋がる」とほのめかし、恐怖で従わせる方法です。
いわゆる脅しをかけているわけです。
会社などで上司が部下に厄介な仕事を押し付けるシーンで良く見られます。
恐怖を感じると回避行動を取ることになります。
脅されると恐怖を感じるので、危険を避けるため相手の要求に従ったほうが無難と判断し、要求を受け入れやすいのです。
4. 自分に都合の良い解釈
攻撃欲求の強い人は、一般的な常識や理論を絶妙なタイミングで持ち出し、その常識を、自分の都合の良いように改変します。
例えば、あなたが誰かの頼みを断ると「困ってる人を助けないなんて、ひどくない?」はい、来ました。「偽善や思いやり」という否定し辛い価値観を圧力として使ってくるわけです。
こういった人は、誰もが反論しづらい「ワード」を武器として振りかざします。
しかし、その「正論」本当にこの状況に当てはまるのでしょうか?個人的に一番のおすすめは「それで?」など問い返すことです。
たった一言で、相手の論理の綻びが見えてくるものです。
結局のところ、常識も文脈次第です。相手の常識という強制力にかからないよう、ちょっとした懐疑心を持っておくのが賢明かもしれません。
5. 他人を無価値化する
突然、他人をからかったり嘲ったりして、相手の存在価値を否定することで、自身の価値を相対的に保とうとする「無価値化の達人」。
その手口は実に多彩で、からかい、嘲笑、ユーモアを装った侮辱、あからさまな軽蔑の言葉、これらは彼らの基本レパートリーです。
そして究極の技が「存在無視」。まるで空気を見るような態度で、相手が透明人間になったかのように振る舞います。
この「無価値化」という現象は、普段は何の問題もない関係の中に、まるで雲の切れ間から覗く月のように、突然姿を現します。
冷たい態度や質問への無視は「あなたなんて私の時間の無駄」というメッセージを、言葉を使わずに巧みに伝えてくるわけです。
でも、なぜこんなことをするのでしょう?実は、これには深い心理が隠されています。
世界を「価値ある存在=善」と「価値なき存在=悪」という白黒二分法で分けることで、自分を「良い方」に位置づけられます。
さらに、異なる意見や価値観を「価値なし」と決めつけることで、自分の生き方を疑問視せずに済むのです。幼稚ですが、なんとも便利な防衛機制ですよね。
皮肉なことに、この手の行動を取る人ほど、実は自分に自信がありません。他人を貶めることで、自分の価値を必死に守り、自分の不安を他人への否定に変換する錬金術師です。
誰かを「無価値化」しようとする人を見かけたら、その人自身が何かに悩んでいる可能性が高いです。そう考えれば、行動の背景が少し見えてくるかもしれません。
とはいえ、多くの場合、幼少期や思春期に解決しなかった問題が原因なので、そんな人に出会ったら適度な距離を保つのが賢明です。
6. 異なる価値観の拒絶と押し付け
自分の価値観だけが絶対正義と信じ、他人の意見を認めず、無理に押し付ける行動に遭遇したことありませんか?
自分の考えを、まるで新型スマートフォンの発売日に行列する人のような熱意で押し付けてくる独特な人々のことです。
知識をひけらかすのは得意技で、動物が慣れた狩猟を行うような自然さです。
面白いのは、彼らの世界には「違う意見」という概念が存在しないことです。
自分の価値観が、まるで重力のように普遍的で絶対的だと信じ切っています。もし誰かが異を唱えようものなら?「ああ、心が傷ついた〜」と、突如ドラマチックな被害者に変身するかも知れません。
影響力は、まるで台風のように広範囲に及びます。子育て、趣味、社会正義、彼らの言う「正しさ」は、どんな分野でも存在します。
異なる意見の存在という言葉は、彼らの辞書に存在しません。
多くの人は、この「価値観の押し付け」を前にすると、まるで雨宿りをするように、ただ耐え忍ぶことを選びます。
これは決して同意ではなく、単なる騒音に対する一時避難です。「反対したら面倒なことになる」という経験則からくる悲しい知恵です。
結局のところ、こういった状況に直面すると対話が意味をなさないので、最善の対処法は静観になってしまいます。
でも、いつまでも雨宿りを続けるわけにもいきません。適度な距離を保ちながら、自分の価値観を守る術を見つけていく事が求められます。
7. 自己愛と傲慢さに根ざす行動
自己顕示欲や承認欲求から、自分が常に正しいと信じ、相手を支配・攻撃する、「私こそが宇宙の中心!」症候群の人たち。
「支配こそが究極の目的」として、正義を振りかざす場合もあります。
面白いことに、こういう人の周りには、あるパターンが生まれます。
周囲の人間は、まるで猫が高いところから人を見下ろすように、静かに観察します。なぜって?「この人に何を言っても、空洞に音が響くだけ」なのを、みんな知っています。
攻撃的な人にとっては誰も異を唱えない、まるで自分だけの王国のような空間が出来上がるわけです。
最近話題の炎上系インフルエンサーたちも、実は同じ心理が根底にあります。
「私を見て!」「私を認めて!」という願望が、まるでポップコーンのように膨らんで弾けている。自己愛という調味料で味付けされた、苦いエンターテインメントですね。
でも、こういう「私が一番!」というショーを演じる人は、曇った鏡を見ているように自分自身が見えていないからこそ成せるのです。周りの声も、アドバイスも、全て跳ね返します。
残念ながら、多くの場合、自分で痛い目に遭うまで、この「独り舞台」は続きます。
最後に
攻撃的な人々の振る舞いを見ていると、まるで熟練のマジシャンのように巧妙です。相手を操り、心理的なトリックを駆使し、いつの間にか自分のペースに引き込みます。
マジックの種がわかれば、驚くことはありません。
相手の手法を見抜き、冷静に対応することで、無駄なストレスを回避できます。
そして何より、「この人に巻き込まれる必要があるのか?」と自問することが大切です。場合によっては、華麗にスルーするのが最強の防御策です。
※攻撃方法と同時に、周りの人間が反撃できない状況を作っているため、相手は増長し続けます。
結局のところ、攻撃的な人は「支配したいだけ」です。
忘れてはいけないのが、こちらには「関わらない自由」があるのです。心の平和を守るために、上手に距離を取りましょう!