誰しも、難しい話し合いで言葉に詰まったり、こじれた議論に頭を悩ませたり、自分が正しいと確信しているのにうまく伝えられなかったり、そんな経験があるのではないでしょうか。
そんな時、ChatGPTに助けを求めたくなるのも無理はありません。
ChatGPTの主な使い道の一つとして、メール作成がよく挙げられます。
しかし、それだけでなく、メールやテキストメッセージ、さらには音声メモまでAIに読み込ませ、意図を分析させたり、説得力のある返信を作成させたり、議論に「勝つ」ために活用しようとする人も出てきています。
一見すると、理にかなっているように思えます。
AIは厄介な感情を排除し、中立的な視点を提供し、論点を明確に整理する手助けをしてくれます。
実際に、ChatGPTは法的紛争の仲介や、陰謀論を信じる人との対話、あるいは多様な視点を受け入れる手助けとして、説得力を発揮する場面もあります。
だからといって、友人や上司、パートナーとの議論に「勝つ」ためにAIが役立つと言えるでしょうか?
生成AIは明確さを与えてくれる一方で、対立の解消を頼ることは、事態を単純化するどころか複雑にしてしまう可能性があります。
メンタルヘルスと人間関係の専門家は、AIを議論の「審判役」として使うことの利点、落とし穴、そして限界について指摘しています。
ChatGPTに議論の解決を頼るべきでない理由
まず、ChatGPTは人間では無くただの道具です。本当の意味での感情的知能を持ちません。
対立や深い議論には、相手の話に耳を傾け、共感し、異なる視点を理解することが不可欠ですが、これらはAIにはできません。真のコミュニケーションは、お互いが尊重されていると感じられる人間同士の関わり合いがあって成り立ちます。
心理療法士のジョーダン・コンラッド氏は、「議論に『勝つ』ためにChatGPTに助けを求める必要があると感じている時点で、あなたはすでに負けている」と語ります。
AIを使って議論に「勝とう」とすることは、「一緒に問題に取り組む」のではなく、「相手に勝つ」ことを目的としている証拠であり、関係性においては危険信号です。
人間関係における議論は、「あなた vs 私」ではなく、「あなたと私 vs 問題」という構図であるべきで、どちらか一方が勝つという考え方では、結局二人とも傷つくことになります。
議論は、相手を打ち負かすための点取りゲームではなく、問題を一緒に乗り越えるためのものです。お互いの感情を無視して一方的に話を進めれば、問題を悪化させる可能性すらあります。
大きな問題として、対立の舵取りをAIに頼ることが、長期的に私たちの批判的思考力やコミュニケーション能力を弱めてしまう可能性も指摘されています。
対立解決を機械に委託すればするほど、人間が効果的なコミュニケーションを学ぶという、厄介ながらも不可欠な人間的なプロセスから遠ざかってしまうのです。
また、AIは自信ありげに見えるかもしれませんが、回答が正しいとは限りません。
AIが間違いを犯したり、情報を捏造(ハルシネーション)したりすることもあるのは周知の事実です。
これは、生成AIが深い理解に基づいているのではなく、膨大なデータから統計的に最も可能性の高い言葉を予測して応答を生成するためです。
「愛してる」のような一見単純なフレーズでさえ、文脈によって意味合いは大きく異なりますが、AIはこうしたニュアンスの解釈に苦労します。
異なる人生経験や感情的な反応を持つ二人の人間を真に仲介する深みは、AIにはないのです。
ChatGPTが役立つ場合
ChatGPTは自分の考えを整理するツールとしては非常に役立ちます。
ストレスの多い状況では、自分の考えを明確に言葉にするのが難しくなります。そんな時、冷静に文章をまとめる手助けをしてくれます。
議論の準備段階でいろいろなアイデアを試してみるブレインストーミングツールとしても有効です。
感情が高ぶる状況で、冷静な表現に言い換えてくれるのは、時には大きな助けとなるでしょう。
生成AIは全知全能ではありません。現状、捏造(ハルシネーション)を起こしやすく、与えられたプロンプトによって応答が偏ります。
メンタルヘルス専門家のアマンダ・ラメラ氏は、この状況を「料理の塩加減」に例えました。
「議論に勝つためにChatGPTを使うのは、料理に塩で味付けするようなものです。慎重に使えば、明確さを高め、苦味を和らげ、関係の破綻を避けるのに役立ちます。しかし、AIに頼りすぎると、ただ人工的で不快なものを出すだけになってしまいます。」
AIは道具であり解決策ではない
議論に「勝つ」ためにChatGPTを使うべきでしょうか? 答えは「NO」です。
ChatGPTは人間の代わりにはなりません。あくまでツールの一つであり、適切に使うことが求められます。
重要なのは、AIが万能ではないと理解した上で、いつ、何を、どのように使うか境界線を見極めること。
そして何より、最終的には画面から離れて、現実の生身の人間同士で、たとえ厄介であっても正直な対話をすることが大切です。